ソビエトで、バウチャーを紛失

1991年当時、ソ連の観光ビザを取る為には、日本からの往復のエアー・チケットのみならず、
飛行機、汽車等のソ連国内での全ての移動手段のチケットとホテルの予約を取って、あらかじ
めバウチャーを発行してもらわなければならなかった。
しかも当時のルーブルの換算レートは、ソ連の外貨獲得政策により、ソ連国内で両替する時
のレート、国内で外貨払いする時のレート、国外で支払うときのレートと、3種類の公式レート
が存在し、そのレートの格差は7〜8倍にも達していた。
当然ビザを取る為には、国内でのレートの7〜8倍にもなる不利なレートで支払わざるを得ず、
その額は相当な額に及んでしまった。
ただ逆に、旅行中はすでに移動とホテルの支払いが全て済んでいたうえに、両替のレートが安
い為、非常に安上がりではあった。

このバウチャー、旅行中の全工程でのホテルと汽車の支払いが証明されているものであり、こ
れがないと当然、ホテルに泊まることも、汽車に乗ることも出来ない。
しかし、このバウチャーがホテルの手違いで紛失してしまったのだ。
ホテルにチェック・インする際、このバウチャーを一旦ホテルに預けるのだが、リガのホテルを
チェック・アウトする際、戻ってきたバウチャーがどうも足りない様だった。
当然ホテルに確認したが、このバウチャーで問題ないと言われる。
結局ホテルに押し切られ、半信半疑のまま旅を続けることになるが、これが大きな間違いだっ
た。
行く先々のホテルで、宿泊代を払えと催促され、そのたびに今までの状況を説明し、誓約書を
書かされる。
汽車のチケットをもらう時も同様だ。
しかし、なんとか余分な支払いは避け、旅を続けることが出来た。
バウチャーが無いのに旅を続けられたなんて、今考えると信じられない。
自分の必死な気持ちが通じたのだろう。
結局、ソチのホテルの人が必死になって自分のバウチャーをさがしてくれた為、ついにはバウ
チャーが手元に戻ってきたのだが、しかし、なんとそれは日本へ帰国する日のことであった。


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