パリ、ザグレブ、ウィーンで、飛行機に乗れない

仕事が終わったあとそのまま成田空港に直行し、夜のエールフランス便でパリまで行く。
翌日早朝、パリに到着。
そのままエールフランスの朝の便で、クロアチアの首都ザグレブまで行くつもりであったが、
何と満席で乗れなかった。
日本で予約状況を聞いたときには、まだ空いていたはずなのに・・・。
次のザグレブ行きの便は、夜である。
仕方なく、夜までパリを観光することにした。

夜、空港に戻って、ザグレブ行きの便に再チャレンジするが、何とまたまた満席で乗れなかった。
実はこのパリ⇔ザグレブの便、1日2便しかないうえに、45人乗りの超小型ジェット機で、
しかも生活路線のため直前になってうまるらしい。
その為、いつも満席状態とのことだ。
なるほど、日本で聞いた時は空いていたはずだ。
しかも、そんな事情も日本では知る由も無かった・・・。
仕方なく、空港近くのホテルで1泊することにした。

翌朝、昨日に引き続き、ザグレブ行きの便にチャレンジする。
今朝のザグレブ行きの便も、あと5席しか空きがないという。
ドキドキしながらキャンセル待ちをするが、まるで結果発表を待つ受験生の心境だ。
しかし、最終的には何とか乗ることができ、
ようやくパリから、クロアチアの首都ザグレブへ移動することができた。

ザグレブからは、クロアチア航空で、ドブロヴニクまで行くつもりであったが、
何とドブロヴニク行きの便も、今日は全て満席とのこと。
今回の旅は、何とフライト運が無いことか。
ドブロヴニクより手前の街、スプリットまでの便なら、
ビジネス・クラスに数席空きがあるというので、結局、その便でスプリットまで行き、
スプリットから夜行バスで、ドブロヴニクまで行く。

クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナと観光したあと、
ボスニア・ヘルツェゴヴィナの首都サラエボから、オーストリア航空で、
オーストリアの首都ウィーンへ移動する。
この便は、今回の旅行で、唯一すんなりと乗れた便だった。

ウィーンから帰国する際は、
休みの最終日に帰る便が満席で乗れそうにもなかった為、
比較的すいている1日前の便で帰ることにした。
空席状況から考えて、乗れるのもと思っていたが、
なんと、席は空いているものの、重量オーバーとのことで、乗ることができなかった。
今回の旅行で乗れなかった便はこれで4便目。
つくづく飛行機運が無い。
翌日の便に乗れる見込みはほとんど無い為、急きょ、夜行でパリまで行くことする。
ウィーン西駅から列車でミュンヘンまで行き、そこから寝台特急に乗り継いでパリに向かえば、
翌日の早朝にはパリに着く。
朝のエールフランスの成田行きには間に合うはずだ。

ウィーン西駅から、列車でミュンヘンに向かう。
しかし何と何と、ザルツブルクの先で不発弾が見つかったとのことで、今度は列車が立ち往生。
結局、経路を南側に大きく迂回して進んだ為、
ザルツブルクからミュンヘンまで、通常2時間で行けるところを6時間以上もかかってしまった。

ミュンヘンに着いた時には、もちろん寝台特急はとっくのとうに出発済み。
このあとの寝台特急は、ウィーンから来るオリエント急行が1本あるだけだ。
しかしそれもザルツブルクを通る為、同じように遅れてくるであろう。
仮に、時間通りにオリエント急行が来たとしても、パリに着くのは昼前。
他に寝台特急は無く、いったいいつになったらパリに着けるのだろうか。
下手をすると、夜までパリに着くことが出来ないかもしれない。
とにかく行けるとこまで行くしかない。
とりあえず、ミュンヘンからシュトゥットガルトまで行くことにする。
シュトゥットガルトに着くと、何と、あと1時間半後にオリエント急行が到着するとのこと。
不発弾の撤去作業が終わり、
オリエント急行は定刻よりも約30分遅れでシュトゥットガルト到着するらしい。
こんな事だったら、ウィーンで最初からオリエント急行に乗っていれば良かった。
しかし、不発弾が発見されるなんて、まさに想定外でいたしかたなしだ。
シュトゥットガルトからオリエント急行に乗り込み、
昼前にはなんとかパリに到着することができた。

パリに着くと、すぐにシャルル・ド・ゴール空港へと急ぐ。
朝のエールフランス便は、もうとっくに出発してしまっていたが、午後の便には乗ることができた。
翌日、成田空港到着。
最後にホテルを出てから日本に到着するまで、実に40時間も経過していた。

今回の旅行は、全く飛行機運に見放されていた。
4便キャンセル待ちで乗ることが出来ず、1便間に合わなかった。
計5便も乗れなかったことになる。
ここまで乗れなかったのも珍しい。
つくづく、乗り物運が無い旅であった。


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