トランジットの間でパリ市内を見たあと、再びエアー・フランスにてカイロに移動。
チェック・インの際、オーバー・ブッキングで乗ることは出来ないと言われ、かなり心配したが、 キャンセル待ちでなんとか乗ることは出来た。
翌日、外国人登録を済ませた後、ギザに向かう。
途中、次から次へとエジプシャンがしつこく声をかけてきてうざったい。
その中の何人かは、「私は非常に親切で、過去にも日本人を案内して感謝された」などど言 い、その日本人が書き記したというノートを見せてくれたが、そこには「俺はだまされた。ギザの ピラミッドではらくだに乗せられ結局1万以上取られた。こいつにだまされるな。ひどい目に会う ぞ。」という様な事が延々と書いてあった。
そんな事が書いてあるとも知らずに、誇らしげにノートを見せている姿には大爆笑だった。
そんな中『あり』という男と知り合い、こいつはまともそうだったので、彼に観光の案内をしてもら う事にした。
ギザ
スフィンクス、ギザのピラミッド、カフラー王のピラミッドの玄室 |
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ギザのピラミッドを見たあと、馬に乗って砂漠をひた走り、アブシールの3つピラミッドに寄ってから、ジェセル王の階段ピラミッドまでいく。
左中の写真が、『アブシールの3つのピラミッド』 下の写真が、『ジェセル王の階段ピラミッド』 ジェセル王の階段ピラミッドは、他の多くのピラミッドとは異なり、内部の壁画が色鮮やかに残っていた。
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| | ジェセル王の階段ピラミッドを見たあと、サッカーラのありの家に遊びに行き、夕飯にエジプトの家庭料理をご馳走になる。
左の写真は、ありの奥さんと子供。
意地汚いエジプト人には絶対に騙されないぞと意気込んではいたものの、エジプト初日という事で相場も良く分からなかった事もあり、考えてみると結局彼らのしつこさに負けて、相場以上に高い額を払ってしまったと思う。 自分の場合はまだ全然マシな方だろうが、彼らに負けたのが悔しく、また情けなくもあった。 しかし、今から思えばこれもいい勉強だったのかも・・・。
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| | カイロから夜行列車にて、アスワンまで向かう。 昨日ありにアスワン行きのチケットを買ってもらっていたが、駅でチケットを確かめところ、このチケットは昨日の列車のものででもう使えないとの事。ありに騙されていたのだ。 頭にきてチケット・オフィスとツーリスト・オフィスで怒りをぶちまけたところ、駅のマネージャー・オフィスまで連れて行かれて、結局は今日の列車に振り替えてくた。これで何とかアスワンまでの移動手段を確保する事が出来たが、実は振り替えてもらった列車は、エアコンの効いたツーリスト・クラスで、かなり豪華。結果的にはラッキーだった。 列車の出る夜まで、カイロの市内観光をする。エジプト考古学博物館、シタデル、ムハマド・アリ・モスク、ハーン・ハリーと見て廻る。 左の写真が、有名なツタンカーメンのマスク。
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カイロから約14時間半、アスワンに到着。
左の列の写真は、フェラエ島の『イシス神殿』 右の列の写真は、『切りかけのオベリスク』
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| | 翌朝アスワンからルクソールに向かうが、、列車で移動してしまうと途中の遺跡に立ち寄れない為、タクシーをチャーターして寄り道しながら行く事にした。
タクシーの運ちゃんはとても親切で、途中運転させてくれたりもした。
ところがしばらくすると運ちゃんが、「男は好きか?」と聞いてくる。
「男は女を好きになるものであって、男に対しては別に好きとかそういうものでは無い」と答えるが納得がいかない様子。何故か?何故か?としつこく聞いてくる。
しまいには、何と私のペニスを見せろとまで言い出した。
さすがにこれには驚いた。
しかしここで断って相手を怒らせてしまい、砂漠のど真ん中で車を降ろされたらいったいどうなってしまのか?
そんな事を心配してやんわりと断ろうと、「You say joke!」を連発したが、いっこうに分かってくれない。
さすがの自分も頭に来て、意を決して「NO!」と怒鳴ったら、あっさりとおとなしくなった。
その代わり今度は、「金くれ、金くれ」を連発し出したが・・・。
もちろん最初の約束以外の金は、びた一文払わなかった。
エジプト人に限らず、嫌な時はやんわりとかわすのではなく、はっきりNO!というのが、正しいあしらい方だ!
コム・オンボ神殿、エドフのホルス神殿と廻って、ルクソールに到着。 左の写真が『ホルス神殿』で、巨大なレリーフの迫力に圧倒される。 |
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ルクソールに着くと、まずカルナック神殿に行く。
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カルナック神殿を見たあと、ルクソール神殿に行く。 神殿の入り口にはもともと2本のオベリスクがあったが、向かって右側のオベリスクはフランスに持ち去られ、今はパリのコンコルド広場にある。 また、ライトアップされたルクソール神殿の夜景もなかなかきれいだった。
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ルクソール
翌日はナイル川西岸に渡り、ラムセス3世葬祭殿、貴族の墓、ラムセウム、 ハトシェプト葬祭殿、王家の谷、セティ1世葬祭殿、メムノンの巨像と廻る。 左上の写真が、『ハトシェプト葬祭殿』 1997年11月17日、イスラム原理主義の過激派テロ組織により、 日本人10人を含む62人の観光客が無差別に射殺された現場だ。 写真のように、遺跡の出入り口は1本の橋しかなく、まさに袋のねずみだ。 右上の写真が、『王家の谷』 左下の写真が、『ラムセウム』 右下の写真が、『メムノンの巨像』 |
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| | ルクソールからバスにて、紅海の町『ハルガダ』へ移動。 ハルガダに着いた当日は、まずビーチで泳ぎ、 翌日は、紅海でスキューバ・ダイビングをする。
10月19日、午前中再びハルガダのビーチで泳いだあと、午後エジプト航空にてカイロへ。 10月20日、エアー・フランスにて、パリ経由で帰国の途に着く。
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それにしてもエジプト人には腹が立った。 次から次へとやって来ては、「バクシーシ、バクシーシ」と言って物乞いをする。
落ち着いて観光する事も出来ない。まるで乞食の集団だ。
イスラム教の教えでは、富める者が貧しいものに富を還元する事が義務とされ、逆に貧しい者 は富める者から施しを受けるのが当然の権利とされているようだ。
その教えの為か、集団で堂々と物乞いをしにくるのだが、それにしてもひど過ぎる。
他のイスラムの国ではそんなに感じなかったのは、ここエジプトが観光大国だからなのだろう。
しかし、過去の財産にすがって生きていく姿は嘆かわしい。
遺跡は最高、国民は最低。それがエジプトだ。
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