フィンランド

今年の冬は、オーロラを見に行くことにした。
当初はオーロラ観測率の高い、アラスカのフェアバンクスかカナダのイエローナイフに行くつも
りであった。
しかし個人旅行で行くとなると、イエローナイフは航空券が取りづらく、フェアバンクスは現地で
のフットワークに難がある。
結局、観測率は低いが、航空券が取り易くて現地でのフットワークの良い北欧に、賭けてみる
事にした。
目指すは、フィンランド屈指のリゾート地で、ラップランドの北部に位置する「サーリセルカ」だ。

2005年01月26日

ヘルシンキ

「ヘルシンキの街並み」

「ヘルシンキ中央駅」

フィンランド航空で成田からヘルシンキへ。

ヘルシンキ到着後、そのまますぐサーリセルカまで移動する事も考えたが、
サーリセルカの天候を調べると雪であり、オーロラを見れる可能性が低い為、
ヘルシンキに一泊する事にする。




「路地からヘルシンキ大聖堂を望む」



2005年01月27日

ヘルシンキ

「ヘルシンキ大聖堂」

「マーケット広場からエテラ港を望む」

「マーケット広場」

「テンペリアウキオ教会」


ヘルシンキ大聖堂、元老院広場、マーケット広場、
ウスペンスキー寺院、テンペリアウキオ教会と廻る。
テンペリアウキオ教会は、別名ロックチャーチと呼ばれ、岩の中にすっぽり隠れている珍しい教会だ。






「ウスペンスキー寺院」

「国立博物館」

「テンペリアウキオ教会の内部」



2005年01月27日

サーリセルカ

「ホリディ・クラブ・サーリセルカ」

「教会」

ヘルシンキを観光した後、フィンランド航空で、
ヘルシンキからイヴァロへ移動する。
イヴァロからはバスで、サーリセルカまで行く。

サーリセルカは北緯68度30分の北極圏に位置するウインター・リゾートの町で、
ここがオーロラ・ハンティングの拠点となる。

この日は、空一面が分厚い雲に覆われていて、星すら全く見えない。
オーロラ出現に僅かな望みをかけて、am04:30頃まで粘ったが、
結局、雲が晴れることは無かった。



「教会の中でオーロラの出現を待つ」



2005年01月27日

サーリセルカ

この日は、犬ぞりにトライ。
現地の日本人デスクやホテルのツアー・デスクで犬ぞりのツアーを頼むと、
軽食付の約4時間のツアーで115ユーロであったが、
自分で町にあるツアー・オフィスに直接申し込みに行くと、なんと同じ内容で85ユーロだった。
いかに代理店がマージンを取っているかが分かる。

犬ぞりは予想以上に面白い。
6頭のシベリアン・ハスキーが引くそりを舵取りするのだが、
かなりスピーディーで、ちょっとしたスリルもある。
上り坂にさしかかったり、ブレーキを踏んだりすると、
犬達が振り返って助けを求める様な表情を見せる。
その愛くるしい表情に、思わずそりを押してあげたり、ブレーキを緩めたりしてしまう。

「サーリセルカの町で」

「トナカイぞり」

「犬ぞり」

途中、ラップランドの森の中のテントで、休憩をとる。
テントの中の焚き火でウインナーを焼き、暖かいラズベリー・ジュースを飲む。
犬達は疲れきってみな倒れこんでいる。
しかし、再び走り出すと、
みな元気を取り戻したかのように疾走する。
犬達には、本当に脱帽である。
ラップランドの森の中、18kmを約4時間かけて走破。



「疲れきってへたれこむ犬達」

「ラップランドの森の中を疾走」



2005年01月28日

サーリセルカ

この日もオーロラを待ち続ける。
やはり昨日同様、空一面が分厚い雲に覆われていて、星さえも見えない。
am02:00頃から少し雲が切れはじめ、微かに白いオーロラが見えた。
下の写真がそれを写したものだが、分かるだろうか?
その後も、雲がかかったり、切れたりを繰り返したが、
結局、am05:00頃まで粘って、オーロラが見える事は無かった。

それにしても、サーリセルカの夜は異常だ。
フィンランドをはじめ、ヨーロッパ各地から、スキー等のウインター・リゾートを求めて人々が集まっている。
しかし誰一人として、夜外を出歩く人はいない。
マイナス20度にもなる北極圏だ。当然と言えば、当然である。
しかし、唯一日本人だけが、うろうろと徘徊している。
しかもあちらこちらに。
マイナス18度の北極圏の夜の街を、全身黒づくめの格好で朝方まで・・・。
そもそも欧米人に、オーロラを見に行くという考えは無いらしい。
さぞかし日本人の行動が奇異に写ったに違いない。

私もその奇異な行動をとる日本人の一人であったが、
日本人の忍耐力と熟年パワーには驚かされる。
あの寒空の中、朝まで耐えられるのは、さすがに日本人くらいしかいないだろう。
特に熟年層が、若者以上に元気だった。
脱帽である。



2005年01月29日

サーリセルカ

サーリセルカの天気予報を見ると、しばらくは曇りまたは雪が続くらしい。
雲が出てしまえば、オーロラは見る事が出来ない。
オーロラを見れる可能性がほとんど無いのであれば、早々にサーリセルカを後にして、
観光旅行に切り替えた方が得策かもしれない。
しかし、この旅の目的は、オーロラを見ることである。
そんなジレンマに悩まされた挙句、
結局、天気は回復しないと判断し、サーリセルカを発つことにする。

実はこの決断が、大正解であった。
後日日本に帰ってから、インターネットでサーリセリカのオーロラ観測の実績を見たところ、
http://www.nordic.co.jp/guide/theme/aurora/a_c/2004_2005.html
この後数日間は全くオーロラが見れていなかった。
僅かな可能性にかけて残っていたとしても、時間を無駄にするだけであった。
オーロラ出現を待ち続けて朝まで起きていると、翌日の昼間も潰してしまうし、
正に悪循環にはまってしまう。
何の為に来たのか、という思いを残して帰国する団体旅行の日本人も大勢いただろう。
この辺が、自由旅行のフットワークの軽さである。
それにしても北欧のオーロラ観測率の悪さは想像以上である。
1月でまともに見れた日は、ほとんど無い。
我々がサーリセルカにいた前後数日間は全滅で、
昨日だけが見えたことを示す○マークが付いている。
あれで見えたと言うなんて、サギみたいなもんだ。

サーリセルカからバスでイヴァロまで移動し、
イヴァロから、フィンランド航空でヘルシンキまで戻る。
さらにヘルシンキから乗り継いで、ストックホルムまで行く。



             → ウェーデンへつづく



2005年02月01日

→ スウェーデンからのつづき

ヘルシンキ

シリヤ・ラインの超豪華客船セレナーデ号に乗り、ストックホルムからヘルシンキに戻る。

船がヘルシンキに入港する際、スオメンリンナ島の脇を通る。
スオメンリンナ島は、フィンランドの南海岸を守る為に防御壁が張り巡らされた要塞島で、
数々の戦争で重要な舞台となった。
今でも大砲や砲台が残っており、世界遺産にも指定されている。

今日、ヘルシンキに入港後、フェリーでスオメンリンナ島に渡るつもりであったが、
雪が積もった、吹きっさらしの城塞島の様子は、あまりに寒々しい。
冬期は博物館も全て閉館しているということもあり、
今回、スオメンリンナ島に行くことは諦めた。

「スオメンリンナ島」

「シリヤ・ラインから見たヘルシンキ」

「スオメンリンナ島」

「シリヤ・ラインのセレナーデ号」



2005年02月01日

ヘルシンキ

「フィンランドのお土産」
ヘルシンキから、フィンランド航空にて帰国。

今回の旅の最大の目的は、オーロラを見ることだった。
しかし、天候に恵まれず、
結局、ほとんどオーロラを見ることは出来なかった。
天候が回復しないと判断し、オーロラを早々に諦めるという決断をしたが、
それが結果的には大正解だった。
代わりに、ヘルシンキとストックホルムをゆっくりと見ることが出来た。
また、特筆すべきは、フィンランド人やスウェーデン人の優しさとマナーの良さだ。
特に、車のマナーの良さは、歩行者優先が徹底しており、日本とは比較にならない。
街中を歩いていて、車のクラクションの音を聞くことなどほとんど無い。
ただ、いかんせん物価が高すぎる。
普通に夕飯を食べるだけで、1人2000〜3000円はかかってしまう。
貧乏バック・パッカーには痛いところだ。




それにしても、北欧のオーロラ観測率の悪さは信じ難い。
やはり、オーロラを見るのが目的なら、晴天率の高い、
アラスカのフェアバンクスかカナダのイエローナイフに行くべきだ。
次回、フェアバンクスかイエローナイフでのリベンジを固く誓う。


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