ヨルダンから、陸路、イスラエルに向かう。 イスラエルとの国境にあるキング・フセイン橋は、本当に小さくて小汚い橋だったが、この小さ な橋が、2国間にとってはとてつもなく長い距離なのだろう。 キング・フセイン橋を渡り、イスラエルの入国検査を受けるが、入国検査は陸路といえどもさす がに厳しく、X-RAYも配備されていた。 結局入国まで、正味2時間もかかってしまった。 また、パスポートにイスラエルの入国スタンプがあると、シリアなどのイスラム圏の国には再入 国出来なくなる為、スタンプは別の紙に押してくれた。 イスラエルに入国すると、国境の町エリコまで移動し、さらにそこから乗り合いバスを2回乗り継 いで、ようやくエルサレムのダマスカス門に到着。
境まで向かう。 しかしこの日はユダヤ教の安息日(シャバット)にあたり、公共の交通手段が全てストップして いた。 しかも、シャバットの日は、国境の検問所も午後には閉まってしまうという。 タクシーだけは利用出来たのでタクシーにて国境を目指すが、運ちゃんが値段をふっかけてき たのに腹をたてて、国道の途中で降りてしまった。 国道で他のタクシーを拾うつもりであったが、全く来ない。 タクシーも来なければ、シャバットの為、当然バスも来るはずもない。 結局移動手段が確保出来ず、やむなくヒッチ・ハイクをするはめになる。 まさか生まれて初めてのヒッチ・ハイクを、ここイスラエルでやる事になるとは・・・。 国道でしばらくヒッチ・ハイクをしていたが、いっこうに停まってくれる車も無い。 ヒッチハイクの難しさを痛感する。 このままでは国境を超えられない! しかも今日ヨルダンに入国しないと、明日の便には当然間に合わない。 と、少しあせり出した時、都合よく農道からぶどうを運び出していたトラックがそろそろと国道に 出てきた。 これ幸いとばかりにそのトラックの前に飛び出し、手を広げて強引に停め、なんとか国境まで 乗せてもらう事に成功。 しかも積荷のぶどうまでご馳走になってしまった。 感謝、感謝である。 どうなることかと思ったが、無事、ヨルダンに再入国出来た。 イスラエルを旅して感じた事は・・・ ユダヤ人はパレスチナ人に対して強い偏見を持っている! 居住区が違うのはもちろんの事、バスなどの交通手段も全て別。 パレスチナ自治区に行くのに公共バスは無く、パレスチナ人の乗り合いバスのみ。 ユダヤ人にパレスチナ自治区への行き方を尋ねるだけで、嫌な態度をされる始末。 もちろん貧富の差も歴然だった。 また、私が接したパレスチナ人は皆暖かく、親切だった反面、 ユダヤ人には冷たく接せられる事が多かった。 イスラエルのパレスチナ人が、貧しく、差別を受けながらも、 皆逞しく生きている姿に私は共感した。 1948年のイスラエル建国の経緯の理不尽さ、 その後のアメリカのダブル・スタンダード、 そして昨今のパレスチナ人虐殺・・・。 苦境の中必死に生きていくパレスチナ人に、 パレスチナ国家の建国をせつに願う。 → ヨルダンへつづく |