メキシコ

コンチネンタル航空にて、ヒューストン経由で、メキシコ・シティーまで行く。

2001年04月29日

テオティワカン

メキシコ・シティーから、バスにて『テオティワカン』へ。
『テオティワカン』は、メキシコ・シティーの北約50kmのところにある、
紀元前2世紀ごろに建造されたラテンアメリカ最大の宗教都市国家だ。




左の写真が、テオティワカンで1番大きい『太陽のピラミッド』、
左下の写真が、2番目に大きい『月のピラミッド』。
『太陽のピラミッド』は世界でも3番目の大きさのピラミッドだと言う。

左上の写真は、『太陽のピラミッド』の頂上から『月のピラミッド』を見たところ。
上の写真は、『月のピラミッド』からの眺めで、左手奥に『太陽のピラミッド』が見える。





2001年04月29日

メキシコ・シティー

メキシコ・シティーの『ソカロ』と、その横に建つ『メトロポリタン・カテドラル』。
メキシコのタクシーはフォルクスワーゲン・ビートル。
どこもかしこもビートルだらけだ。



2001年04月29日

メキシコ・シティー



ソカロ横にある、『テンプロ・マヨール』の遺跡。
アステカ帝国の都テノチティトランの中央神殿の遺跡である。
この遺跡に象徴される様に、メキシコ・シティーはアステカの遺跡の上に建設された都市で、町中どこを掘っても遺跡が出土される。

下の写真は、テンプロ・マヨールから出土された死神の像である。





2001年04月30日

メキシコ・シティー



左の写真は、『三文化広場』


左下の写真は、メキシコ国立自治大学の敷地内にあるシケイロスの壁画。


下の写真は、『クイクイルコ遺跡』
約2000年前の祭儀遺跡で、中央高原最古の貴重な遺跡だ。





2001年04月30日

メキシコ・シティー

国立宮殿。
内部には、ディエゴ・リベラの最大の壁画『メキシコの歴史』がある。



2001年05月01日

パレンケ

メキシコ・シティーから、夜光バスにて『パレンケ』へ移動。
パレンケの遺跡は、約1300年前のマヤ古典期の遺跡で、熱帯雨林のジャングルの中にある。
左一番上の写真が『碑文の神殿』で、左上から2番目の写真が『宮殿』だ。
パレンケを見たあと、陸路、グアテマラを目指す。

                                        → グアテマラへつづく








2001年05月04日

→ グアテマラからのつづき

カンクン
グアテマラのフローレスから、TACA航空にて再びメキシコへ入国、カンクンに到着。
空港の税関では、押しボタンを押す様に言われ、ボタンを押したらブザーが鳴ってしまった。
それを聞いて係官が自分の荷物を調べだした。
どうやら確立の問題で、ブザーが鳴った人だけ調べる仕組みの様だ。



2001年05月05日

チチェン・イツァー

カンクンから、バスにて『チチェン・イツァー』へ。
途中、聖なる泉による。



2001年05月05日

チチェン・イツァー





『チチェン・イツァー』は、ユカタン半島にあるマヤの遺跡で、6世紀頃のマヤ古典期に属する旧チチェン・イツァーと、トルテカ文化と融合した10世紀以降の後古典期に属する新チチェン・イツァーのふたつのエリアからなる。
左の写真は上から、『カラコル(天文台)』、『エル・カスティージョ(ククルカン神殿)』、『戦士の神殿』、『尼僧院』
上の写真は、エル・カスティージョの頂上から戦士の神殿を眺めたところ。
下の写真は、『千本柱の神殿』
一番下の写真は、エル・カスティージョの内部に祭られている、ヒスイの目を持つ赤いジャガー像と生贄の心臓を置いたチャック・モール像。





5月6日、カンクンからコンチネンタル航空にて、ヒューストン経由で帰国。
朝am05:15にホテルまでタクシーを頼んでおいたが、なんと朝am04:30に叩き起こされる。
何故こんな早く来るのだ。もう少しのんびりさせてくれ。
少し腹を立てながら、まだ頼んでおいた時間になってはないではないかと言うが、ホテルの人
も、タクシーの運ちゃんも早く行けとせかす。
なんだかんだと押し問答になるが、何を言ってるのかスペイン語なのでさっぱりわからない。
結局せかされるまま、少し早目にホテルを出発する事になった。
しかし空港に着いてビックリ。
なんと時間が1時間進んでいるではないか。
実はちょうどこの日サマー・タイムに切り替わり、昨日の夜中に1時間進んでいたのだ。
危うく飛行機に乗り遅れるところだったが、なんとかチェックインも間に合い、無事帰国。
夏時間には気を付けないと・・・。
ホテルの従業員とタクシーの運ちゃんに感謝、感謝であった。


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