当時ソ連の観光ビザを取る為には、日本からの往復のエアー・チケットのみならず、飛行機、 汽車等のソ連国内での全ての移動手段のチケットとホテルの予約を取って、あらかじめバウチ ャーを発行してもらわなければならなかった。
また当時のルーブルの換算レートは、ソ連の外貨獲得政策により、ソ連国内で両替する時の レート、国内で外貨払いする時のレート、国外で支払うときのレートと、3種類の公式レートが 存在し、そのレートの格差は7〜8倍にも達していた。
当然ビザを取る為には日本から不利なレートで支払わざるを得ず、その額は相当な額に及ん でしまった。
ただ逆に、旅行中はすでに移動とホテルの支払いが全て済んでいたうえに、両替のレートが安 い為、非常に安上がりではあった。
8月9日、アエロフロート航空で、ソ連の首都モスクワへ飛ぶ。
モスクワ到着後、以前モスクワから大学の研究室に来ていたレベデフさんと再会。
夜はレストランで、レベデフさんの奥さんを交えて3人で食事をする。
| | まず『赤の広場』へ行く。 下の写真が『赤の広場』 写真の右側にある建物が『クレムリン』で、その前には『レーニン廟』がある。 左の写真は、『聖ワシリー寺院』
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モスクワ
右上の写真が、『クレムリンの衛兵交代』 左下の写真が、『レーニン廟』 |
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| | 左の写真がKGBの本部。 KGB本部の前に建っているのが、創始者であるジェルジンスキーの像で、この像はクーデターの際市民の手によって取り壊されて、今はもう存在しない。
レベデフさんの妹ラリサさんと合流し、案内してもらう。 まず、レーニン廟の中に入ってレーニンの遺体を見るが、まるでロー人形のようだった。 本当に本物なのか・・・? レーニン廟を見たあと、いよいよクレムリンの中に入る。 |
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モスクワ
『クレムリン』の中。 左一番下の写真はレーニン像で、 その前に立っているのがお世話になったラリサさん。 |
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| | ラリサと別れたあとレベデフさんと合流し、モスクワ大学を見に行く。 モスクワ大学は、外壁が全て大理石で出来ていて実に豪華だ。 モスクワ大学を見たあと、レベデフさんの家で夕食をご馳走になる。
モスクワ大学を見た際、カメラが壊れて写真が取れなかったので、翌日地下鉄に乗り、再びモスクワ大学まで行く。
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| | モスクワ大学、プーシキン美術館と見たあと、レベデフさんと合流。 レベデフさんと郊外の教会を見たあと、この日もレベデフさん宅で夕食をご馳走になる。
左の写真は、レベデフ夫妻。
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| | モスクワから夜行列車にて、レニングラードに移動。 (レニングラードはクーデターのあと、サンクトペテロブルクと町の名前が変わっている。)
レニングラードに着くと、まずアレクサンドル・ネフスキー修道院に行き、ドフトエスキー、チャイコフスキー、ムソルグスキーなどの著名人の墓を見に行く。 そのあと、写真の『カザン聖堂』を見に行く。
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左上の写真が、有名な『エルミタージュ美術館』 上の写真が、『アレクサンドルの円柱』 左の写真は、『ペトロパヴロフスク要塞』
夜、夜行列車にて、レニングラードからラトヴィアの首都リガに移動する。
→ ラトヴィアへつづく
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| | ラトヴィアのリガから夜行列車にて、再びレニングラードに到着。
まずはエリミタージュ美術館へ。 ピカソ、セザンヌ、モネ、ピサロ、ルノワール、ゴッホ、ゴーギャン、ドガ・・・。 著名人の絵が目白押しだった。
エリミタージュ美術館で、アレクシーという青年と知り合い、彼の家に昼食をご馳走になりに遊びに行く。 最初はすごい親切なやつだと思っていたが、結局は金欲しさのいやなやつだった。 でも、ロシアの家庭料理をタダで食べられたのはラッキーだった。 写真は、エリミタージュ美術館でアレクシーと。
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レニングラード
アレクシーの家で昼食をご馳走になったあと、イサク聖堂へ。 右下の写真は、イサク聖堂からの眺め。 |
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レニングラード市内を観て廻ったあと、夜はダンス・ショーを見に行く。
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| | メトロでスモーリヌイ修道院に行くが、なんとこの日は休館日で残念ながら中は見れなかった。
一旦ホテルに戻り、タクシーにて空港に向かう。 最初ホテルでタクシーを頼もうと思ったが、外貨払いのタクシーしか頼めず高かった為、通りに出てルーブル払いの安いタクシーを拾って空港まで行く。 空港のチェックイン・カウンターの前で自分のフライトのチェックインが始まるのを待つが、いつまで待っても始まらない。 おかしいと思っていろんな人に尋ねてみても、ここで待っていればいいという。 しかし、さすがに出発時間ぎりぎりになってもチェックインが始まらないのはどう考えても変だ。 いろいろ調べてみると、空港の裏手に、なんと外国人専用のチェックインカウンターがあった! 今まで待っていたのはソ連人用のチェックイン・カウンターで、そうとは知らずに延々と待っていたのだった。 だが時すでに遅し。 チェックインには間に合わず、飛行機に乗り遅れてしまった。 ホテルから、外貨払いのタクシーで来ていればこんな事にはならなかったはず。 やはりいくら安いからといって、いつも地元の人と同じ様にルーブル払いばかりではダメなんだと、さすがにこの時ばかりは感じた。 このあと空港で待つ事6時間以上。 しかし幸運にも何とか別の便に振り替えてもらうことが出来、グルジアのトヴィリシまで行くことは出来た。 結局レニングラードの空港で、実に8時間以上もいた事になる。
→ グルジアへつづく |
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| | グルジアのトヴィリシから、夜行列車にて、黒海の町ソチに来る。
ソチ到着後、まずはテンドリウムに行く。
翌日は、ホテルのビーチで泳ぐ。 黒海は、ねずみ色をみどりがけた様な色をしていて、見た目にはきれいではなかった。 また、塩分が多い為か、浮力が強くてかなり泳ぎ安かった。
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ソチからアエロフロート航空にて、モスクワのブヌボゴ空港へ行く。 ブヌボゴ空港からはタクシーにて、約70km離れた国際線の空港であるシュレメチェボU空港ま で移動し、そこから日本への帰途につく。
ブヌボゴ空港からシュレメチェボU空港まで移動する間、途中、軍の戦車が延々と連なって走 っているのを見る。
タクシーの運ちゃんも興奮している。
この時はわからなかったが、あとから考えれば、クーデターに失敗した軍が撤退するところだっ たんだと思う。
情けない事に、旅行中はクーデターの事はわからなかった。
確かに、空港のテレビにみんなが真剣に見入っている様子などは尋常ではなく、一種異様な 光景で、何かあった事は容易に想像出来たが、まさかクーデターが起こっていたとは・・・。
テレビでは映像は全く流れず、アナウンサーが話しているだけだったのでわからなかった。
日本に帰って状況を知るにつれ、いかに自分がラッキーだったかを思い知る。
もしクーデターが成功していたら、きっと日本には戻れなかったのだろう。
結果オーライではあったが、実に貴重な経験だった。
今回の旅行はクーデターの件だけではない。
飛行機に乗り遅れたり、またホテルの手違いでバウチャーが紛失し、行く先々でトラブルとなっ たりもした。
これもまた貴重な経験か・・・。
確かにソ連は貧しく、店に並ぶ列も聞きしに勝るものであったが、人々はみな暖かく、治安も良 かった。
ソ連崩壊後の治安の悪化を考えると、いい時期に旅行したとも言える。
あくまでも、クーデターが失敗したから言える事なのだが。
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